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掛布雅之さんの引退の真実、小林繁さんの一言にびっくり

伝説の引退SPで放送されいた阪神の掛布雅之選手の活躍のモチベーションと早かった引退理由を初めて知りました。

掛布引退

アラフォーの僕が小さい頃はよく31番の背番号の阪神Tシャツを着て遊んだものです。ヒーローの掛布選手のファンでもあり、いつでも活躍し、すごい選手だったというくらいの記憶しかありませんでした。

高卒のドラフト6位で阪神に入団した掛布選手は、努力の練習でレギュラーを獲得し、打撃も好調で順風満帆のプロ野球生活を送っていた中での当時阪神の4番であった田淵選手のトレード移籍がありました。

5年目の掛布選手がその後の阪神を支えることになるのですが時期を同じくしてプロ野球界で起きたのが『江川卓の1日の空白事件』です。

そのあおりを喰らった小林繁投手が巨人から阪神にトレードで入団した時の一言に掛布さんは『殴りかかってやろうかなと思った』くらい怒ったのです。

トレードで小林さんが移籍してくることには素直に戦力として喜んだ掛布さんですが、小林繁さんが入団直後、選手あいさつで発した最初の言葉は『巨人には伝統はあるが、阪神には無い』との言葉にびっくりしたと同時に『この人には絶対負けない!』という気持ちになったそうです。

後にホームラン王などのタイトルを獲り、名実ともにミスタータイガース掛布雅之となって行くのです。

まさか同じチームメイトに対するライバル心、それもタイガースの投手の発した一言を見返してやるという気持ちで掛布さんが戦っていたなんてこと全く知りませんでした。

小林繁さんが今いなかったら今の掛布雅之は無かったです。とはっきりおっしゃってましたし、亡き小林さんのご家族にも感謝の気持ちをお話ししたそうです。

さらに成績不振時の過激なタイガースファンの悪質な嫌がらせやマスコミとも戦って結果で見返し、大活躍。

その後の阪神タイガースは1985年にバース・掛布・岡田の伝説のバックスクリーン3連発を放ちリーグ優勝、その後初の日本一に輝くんですが間違いなくミスタータイガースの掛布さん功績ですよね。

その3年後に引退するわけなんですが、『阪神の4番を打てなくなったら引退』と思っていたそうです。

今から思えば33歳での引退はとても若くてもったいないと思うのですが、当時の掛布さんのモチベーションももう保てなくなっていたんでしょうね。

番組で伝説の1985年のタイガース優勝メンバーが集まっていました。

掛布さん、真弓明信、岡田彰布、ランディ・バース、佐野仙好、木戸克彦、川藤幸三、中西清起、池田親興、そして吉田義男監督が集合しての話は面白かったです。

阪神1985年メンバー

掛布さんが『このメンバーが仲が良いわけない!でも野球をすると1つになる』。

まさしくプロですよね。

ミスタータイガース掛布雅之さんが現役生活中の気持ちやモチベーションを語ってくれた貴重な話、関東出身でありながら関西のタイガースを思い続けてくれた想いがとても感動的でした。

たくさんいたであろうライバル、もちろん江川投手もその一人でしょうが、まさか小林繁投手との間にこんなやり取りがあり、そのことに今では感謝しているということがとても印象的ですね。

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コメント

  1. くろだんごさん@まことらせん より:

    掛布は阪神きっての唯一の不動の4番バッターだった訳だが、その理由はやはりミスター・タイガースという異称(いしょう)に掛布本人は拘りがあったかどうかは定かではないが、以前に田淵幸一がトレードで西武として九州から関東に移ったばかりのライオンズに放られた際に、田淵が予告として次は掛布が他球団に放られる番だが、田淵本人や江夏豊と違って中途半端な形で縦縞を脱いで甲子園を去るなと言ったことを掛布が深く気にしたというのが一番の理由だったし、掛布本人が他球団への移籍を固辞したのもそれとされてるが、それに関しては掛布と同期入団の佐野仙好(のりよし)との深い絆が念を推していて、掛布とこの佐野の長年の縁そのものが掛布本人を阪神一筋で絶対的な4番として現役晩年まで奮いたたらせたことが大きいのではないだろうかと思う?!